桂小五郎 |
萩藩士、後の木戸孝允。西郷隆盛、大久保利通と共に維新三傑と称される。 |
西郷吉之助 |
薩摩藩士。第一次長州征伐では幕府軍の主力となるが、坂本龍馬の説得で薩長同盟を結んだ。西南の役で自刃死。 |
坂本龍馬 |
幕末の志士(土佐藩士)。明治維新 一番の立て役者。ざんばら髪を後ろで結び黒の紋付きネズミ色の袴を漬けた姿。慶応3年京都で暗殺された。享年33歳。 |
中岡慎太郎 |
土佐藩士。竜馬と並んで維新に奔走したが、京都で共に暗殺された。享年30歳 |
高杉普作 |
長州藩士。農民、町民の軍隊・奇兵隊を創設するなどしたが、「維新の夜明け」を見ることなく病死した。 |
梅田 雲浜 |
志士。元・若狭小浜藩士。藩政を批判し、武士の身分をはく奪される。尊王攘夷を唱え、ロシア艦襲撃を企てた。安政の大獄で江戸の獄舎で病死。 |
橋本 左内 |
越前福井藩の志士。緒方洪庵らに蘭学・医学を学び、藩主松平春岳に認められて藩政革新に当る。安政の獄に座し斬罪。 |
吉田 松陰 |
長州藩士。江戸に出て佐久間象山に洋学を学び萩の松下村塾で高杉晋作、桂小五郎ら多くの維新の志士を教育した。安政の大獄に座し、江戸で刑死。 |
織田 信長 |
戦国時代を代表する武将。天下統一の基礎を築いた。本能寺の変で明智光秀の謀反にあい心半ばにして自刃した。鉄砲を使用した戦をする為、武具の各所に鉄板を使用している。 |
七卿落 |
文久3年(1863)8月、討幕計画にやぶれた三條実美ら尊攘派の公家7名が長州へ落ちのびた事件。ミノをかぶった7人の公家を、よろい姿の久坂玄瑞ら3人の武士が護衛している。 |
久坂 玄瑞 |
長州藩士。吉田松陰の妹婿。兵学を松陰に、洋学を藩校に学ぶ。尊王攘夷を唱え、1864年(元治1)兵を率いて京都に入り蛤御門(はまぐりごもん)の変で会津・薩摩等の兵と戦い負傷、自殺。 |
三條 実美 |
公卿。明治維新の功臣。実万(さねつむ)の子。尊王攘夷運動の先頭に立ち、維新後太政大臣。内閣制発足後は内大臣。 |
大田垣蓮月 |
江戸末期の女流歌人。陶器を製し自詠の歌をつけて世に賞美され、京都・東山で高潔な生涯を送った。歌風は優美繊細。家集「海人の刈藻」。 |
玉瀾 |
本名は町。江戸時代中期、独自の文人画を確立した池大雅(1723-76)の妻。浮世離れした大雅を包み込むように支えた。大和郡山藩の家老で風流人文人として有名だった柳沢淇園や、夫の大雅に画業を学び、画人としても知られた。 |
吉野太夫 |
京の遊里・六条三筋町(島原の前身)の太夫。書画や和歌などに優れ、「寛永の三名妓」の1人とうたわれた。信仰心が厚く、常照寺に朱塗りの山門を寄進した。芸奴の間で、男装風の着物や髷が流行し、腕を懐に入れ 帯を下げた着こなし。 |
出雲阿国 |
阿国歌舞伎の創始者。歌舞伎芝居の祖。もと出雲大社の巫女(みこ)といい、京都で念仏踊を興行して大変な人気を呼んだ。没年は1607年(慶長12)以後。 |
大原女 |
洛北大原の婦人は、薪・炭等を頭にのせ、京の町へ売りに出る風習があった。 |
淀君 |
豊臣秀吉の側室。名は茶茶。浅井長政の長女。母は信長の妹お市の方。山城の淀城に住み、秀頼を生む。大坂夏の陣(1615)で落城の際、城中で自刃。上流階級の武家の女性の外出着(現在では婚礼衣装に用いられている) |
桂女 |
京都の桂の里に住み、独特の風俗を伝えていた一種の巫女(みこ)。正月・婚礼・出産・出陣など諸家の祝い事に訪れ、花嫁に付き添ったり祝言の祓(はらえ)をした。平安時代、天皇に桂川の鮎を献じたのに始まり。 |
静御前 |
悲運の名将源義経の愛妾。鶴岡八幡宮で源頼朝、北条政子らを前にして義経恋慕の舞を舞った。能の「吉野静」「二人静」「船弁慶」の題材となり歌舞伎などにも多く使われている。(烏帽子をかぶり鼓を打つ遊女白拍子の定番) |
巴御前 |
木曾の豪族中原兼遠の娘。木曽義仲に愛され、女性で有りながら女武者として活躍。夫の戦死後は和田義盛に再嫁し、その敗死後、尼となって越中に赴いたという。(装飾が胴に施された、鎧が美しく女性的。頭を飾る長刀を持っている) |
横笛 |
平家物語に見える女性。建礼門院の雑仕で、滝口の斎藤時頼に愛されたが、時頼が出家すると、あとを追い尼になった。 |
常磐御前 |
平安末期の女性。もと近衛天皇の皇后九条院の雑仕。源義朝に嫁し、今若・乙若・牛若を生む。平治の乱に義朝敗死後、大和に隠れたが、六波羅に自訴、子供の命乞いのため平清盛になびき、のち藤原長成に再嫁した。 |
紫式部 |
藤原為時の娘。名前は源氏物語の「紫の上」と父の官位「式部丞」からとったという説が有力。三十六歌仙の一。著作は「源氏物語」のほか、「紫式部日記」「紫式部集」など。内掛けの原型となった平安貴婦人の略衣装(こうちぎ) |
坂上田村麻呂 |
初代の征夷大将軍、平安京造営に深く関わり 清水寺の建立で知られる。きらびやかな甲冑、金造りの直刀、他の武具もそれぞれ鮮やかである。 |
清少納言 |
平安中期の女房。三十六歌仙の一。和漢の学に通じた才女で、紫式部と並び称せられ、一条天皇の皇后定子に仕えて寵遇を受けた。「枕草子」の作者。家集「清少納言集」。 |
小野小町 |
平安前期の歌人。六歌仙・三十六歌仙の一。出羽郡司小野良真の女ともいう。歌は柔軟艶麗。文屋康秀・僧正遍昭らとの贈答歌があり、仁明・文徳朝頃の人と知られる。絶世の美人として七小町などの伝説がある。 |